厨房
1
2

半年がかりで作った Rock Cabin 外道です。

砥石の作業場をもとにして、廃材利用で作りました。
6坪の店内に15席。費用35万!

何にかかったんやろう?内装材、便槽、グラスウール・・・
湯沸し、シンク、冷蔵庫はもらい物。家にあった食器。


  カップを選んで飲めるようにと数個のコーヒーカップを買いに行ったとき、
   店に来てた全く見ず知らずのおばちゃん(当時40くらい?)が、
   「そんなん始めやはるんか、私が一つこうたげよ!」
    って1客買ってくださいました。
 

   この頃からすでに額に‘貧’の字が・・・ヒン肉マン!その後も何かと物をもらえることが多く、
   最近はイベントで初対面のお客さんからさし入れがあったり、
   イベントに常連のお客さんの奥さんがわざわざ弁当作って来てくださったり等々・・・
   かなり‘貧’の字が額だけでなく身体中からにじみ出ているようです!!

Dec, 1980
拡大GEDO

PA

ピアノ

空間
テーブル
オーディオ
砥石の壁

この頃、店の常連たちと
園部の公民館でのコンサートの他に、
保育専門学校等の学園祭、PHP等の企業祭に
音楽担当やバンド参加していました。

ピアノ

砥石の壁

廊下

テーブル

空間

土曜にアコースティック中心のLIVE

白と緑が基調の外観

京都新聞

正確な日にちは忘れましたが、この頃店は倍の広さになりました。
かかった日数も費用も忘れましたが、
ロックバンドのLIVEもバンドの練習もできるようになりました。

店は道路から10m奥ばった所にあり、入り口もわかりにくく、
薄暗い廊下の突き当たりが第2のドアー、中には髪の長い男!

音が漏れないよう二重構造、クーラーはウォタークーラー
もんどりのランプシェード、砥石の壁面、もっこの椅子、砥石挽きのプーリー

今思うと(当時でも?!)やっぱり怪しい、、、!

でも、類は類を呼ぶ 何の宣伝もしていないのに、
看板のRockの文字に魅かれたり、以外性に誘われたり、怪しげな噂を聞きつけたりで

一ヶ月もすれば、アルコールなしでもワイワイガヤガヤ!
いろんな所からいろんなのが湧いてきました。

そして
類は友に成る 
変なもんで初対面で意気投合した人たちにその後もずぅ〜と支えてもらって、
今も一緒に野外LIVEを盛りたてています。

三ヶ月もすると、
新聞・雑誌に取り上げられました。それで、
お客さんが増えるということはなかったですが、
市民権は得ました。
如何わしいところではないということに・・・。

テーブル
Hand Made
&

この頃、誰かが「腹減ったなぁ〜」って言うと、
「ほんならワシ買うてくるわ」って北白川の牛丼屋
(当時ここ1軒しかなかった)まで
往復2時間、買ってその場で食べることもなく、
みんなの分持って帰って来てました。


この頃、デビュー前のフルタくんが通って来ていて、
3時のオープンから閉店の12時、その後帰るまで
ずぅ〜っとギター離すことなかったです。
お客さんが来られたら、裏のマージャンルームで、
食事もギター持ちながらやったし・・・
ほんと、
すごかった!!!

この当時、トイレ、風呂、睡眠、車の運転中以外は
たいていギターを持っていたとのことでした。

がホゾ、アリの墨を打ってくれて、

 History

増築側からのステージ

メンズファッション誌
 ホットドックプレス

が左官手伝ってくれました。

青年団の新聞

150W 6Chでしたが、ほんとよく活躍してくれました。
ヤマハのPA
です。
店を初めて間もない頃、神戸まで買いに行きました。
勿論ローンでした。

コンサートチケット

フルタくんデザインの
 パンフレット表紙

初コンサートチケット
BOUND初ステージ

スタージ

厨房

厨房

ストック
ヤード

空間
空間
空間
空間
空間
テーブル
テーブル
テーブル
クーラー
カウンター
精米所
ディス
プレー
廊下

LIVE写真はあっても、店の写真意外とありません。
当時の「
プガジャ、カイトランドの情報誌は残っていますが、
店、バンドの切り抜き等出てこないものあります。

「Deep South」の開店以降、2年間ほどこの店も開けていました。
夜10時〜 
お客さん1人来るかどうかのために・・・
翌朝、新聞配達、田んぼ、そして11時よりDeep southなので、
常連客の場合、寝てることもありました。

それでも、
誰かは来るし、僕も開けたいし・・・
今はない暗い店内、入口から何歩でドアーがあって、3段の段差
カウンター、キッチン目をつぶっていても行けるし、
店舗内すべてが目に浮かびます。

僕も常連客も、この薄暗い店が
好きやったし、それどれの若い頃の
思い出の中での占める割合が結構
大きいんやろうなぁと思います。

南丹タイムス

月刊 京都

 旅の情報誌
昭文社リュエル

あの頃のGEDOは良かった最高やった!
って言ってくれる人多いです。

あの山間の片田舎の薄暗い空間やけど、
カリフォルニアがどこまでも続いているような
やたら明るく、からっとして、気ままで自由、自由自由な空間やった!

ほんと 
バイタリティーのある年頃に良い時代で良かった。

まぁ、いつまでも続くはずもなく、
僕には今しっぺ返しがきてますが・・・、


エピソードまだまだ一杯やけど・・・また

残っている店の写真少ないですが、出てきたら順次アップしていきます。
カウンター

ディス
プレー

テーブル

クーラー

オーディオ

空間

空間
空間
空間

精米所

京都新聞

朝日新聞

毎日新聞

店内

京都新聞

読売新聞

カウンター

砥石小屋と廃材

カウンターのある増築方向

農機具小屋

1間


テーブル

一番長い人で12時の開店(初期の頃)から次の日の閉店まで
36時間居た人いましたよ。よっぽど居心地良いんやねぇ・・・

この空間に、一番多い時、バンドのメンバー入れて
52人
熱気
ムンムン良かったですよ!


1間

京都新聞

廊下突き当たりの
 ディスプレー

May, 12, 1979

入口
農協新聞
瓦を貼った壁

瓦を貼った壁

マージャンルーム
   控え室

手洗い
トイレ
京都新聞

防音、吸音を重視して、穴あきボードを使いました。
天井のグラスウールを2重に強化。屋根も2層に!
クーラーも貰い物の2Kのクーラーに!
残熱材何重にも入ってるので、何とか夏しのげました。

LIVEや練習は10時には終わるって感じでしたが、
音を低くしてギター弾いたりしてて・・・
12時の閉店以降はマージャンをする奴、ギターを弾く奴、
談笑する奴、漫画を読む奴、文句も言わず、
それどれが
干渉することなく、ワイワイガヤガヤ・・・
ほんと
自由、自由、自由な空間でした。

東の空が白じんでくる頃帰って行きます。
そして僕は
新聞配達に・・・

トイレ

入口

手洗い

農協新聞

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