延喜式内 丹波国桑田郡19座の1座 祭神に伊賀古夜姫命 誉田別命を祀る。 三勅祭のひとつ『葵祭』の行列に氏子が奉仕 社小さくとも格式高い氏子も同じ ?!
本山修験宗
昭和一桁代
平安の医師・丹波康頼の供養塔 鎌倉中期の重文 五重石塔 幕末の志士頼三樹三郎の供養塔あり 南北朝時代は北朝方に、幕末は勤皇方につく! 檀家の人々も砥山の栄枯盛衰等 世間を上手に乗り越える術に長けている ?!
鎌ヶ淵
神尾山 金輪寺
中砥は青砥、 門前、めつけ、佐伯砥と 西に向かって、目が粗くなっていき 亀岡側から京都側に向かって 質がおちていき、 合砥(仕上砥)は逆に 京都側から亀岡側に向かって 質がおちていく!
修行場
(まさつぐさん)
源兵衛水車
宮川神社
(よしまさはん宅)
材木商
(まっさん)
砥石
神前区
養蚕業
川
(きんだぁはん)
清正公
(えーやん)
(せいしょこさん)
砥石
倶楽部
魚屋『柿光』
(じんごべはん)
自転車屋
(えいたはん)
宮前郵便局
将棋・囲碁サロン
大正館(時計店)
(たろうさん)
後半
魚屋ぜんさん
(たねやん)
(なかじさん)
上の鍛冶屋
宮川診療所
上車
中車
(まさやさん)
富家稲荷
駐在所
(おおまえさん)
(おすてはん・たいっつぁん)
 宮前町  砥石販売額  (昭和7年度)
   宮川   53,000円      65,4%
   神前   20,000円      24,6%
   猪倉     8,000円       9,8%
衣類
前半
下車
府道八木宮川線
最盛期には近隣からも含め 300人以上が働いていた! 木馬で砥石をおろす作業者でも 当時、小学校の校長よりも 給料が高かったという。
(せいきさん)
(せいたろはん)
(ひょうたろはん)
(こじまはん)
衣服屋
(えーやん)
(かずいっつぁん)
本
梅
川
(はしもっさん)
電話交換室
(りきっつぁん)
小谷  (青砥)
最盛期 20年代半ばから 30年初頭にかけては 80%前後が宮川区内で 生産されたと思われる。
大鶴  (青砥)
旧山陰道
(さかぐっさん)
(きんだぁはん)
(きぃっちゃん)
石
森医師
時
計
(せたさん)
細谷に水車有り
下の鍛冶屋
(てっつぁん)
養蚕業
畳屋
野口宿至
砥石の隆盛とともに 他所からの出店・移住が増え、 住民になって数年経つと、 砥石配当金がもらえることが 定住を即していった!
(とうたはん)
(おおどはん)
石屋さん
ハイヤー・運送
砥石
砥石
豆腐店
毎月十一日祭典
神前区にあり 鉱脈が田んぼの底に 入り込んでおり 排水しながらの作業
マンガン鉱採取地
人口移動が少なく 人口が減っている時代に 砥石の隆盛がはじまり、 戸数、人口が 増えてきていた。
砥石
(かっつぁん)
国道篠山街道
(そうしろはん)
(かきみつおくさん)
妙霊教会
運転手は下河原さん 車はシボレー社製
(はるいっつぁん)
岡花  (青砥)
(じんごべはん)
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(げんのすけはん)
他の地区が個人山なのに対し 大半が区有山のこの地区では 区民1軒につき1箇所の 採掘権があった。
井上理髪店
自転車屋
神前区  (青砥)
(かきみっちゃん)
赤土採取地
宮前小学校
大日堂
伝染病隔離病舎
人口  大正9年 昭和5年  
宮前村  1641人  1741人 0.3%増
千代川村 1972人  1877人 0.4%減
ひえ田野村 2275人  2215人 0.2%減 
停留所
(ぜんさん)
長谷  (青砥)
材木商
西田たばこ店
昭和一桁代A へ
My home town へ
昭和10年代A へ
大工
神
宮川の会所
田
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