『毒茶事件』 農業用貯水池造成工事において 何者かがお茶に毒を入れ 作業員が腹痛にという事件がおこり 工事が中止になった。
4代前の光っつぁんが 神前の庚申屋より養子に 街道沿いの縁側で 野菜等土産物を販売 休憩所・宿屋を営む!
上の鍛冶屋
本山修験宗
明治〜大正
平安の医師・丹波康頼の供養塔 鎌倉中期の重文 五重石塔 幕末の志士頼三樹三郎の供養塔あり 南北朝時代は北朝方に、幕末は勤皇方につく! 檀家の人々も砥山の栄枯盛衰等 世間を上手に乗り越える術に長けている ?!
神尾山 金輪寺
本門寺(法華宗本門派)の分院 つねいっつぁん・しげひろさん宅・げんちゃん宅・ よっちゃん宅・ひろっさん宅5軒で世話
砥石の隆盛とともに 他所からの出店・移住が増え、 住民になって数年経つと、 砥石配当金がもらえることが 定住を即していった!
(さかぐっさん)
一子相伝の 削げ抜きの呪い有り
大日堂
源兵衛水車
宮川神社
庚申屋
畳屋
輪(わぁ)さん
(よしまさはん宅)
砥石
(よしきさん宅)
(もしちはん)
(せきぞうはん)
清正公
(ろくさん)
寒天屋
最盛期には近隣からも含め 300人以上が働いていた! 木馬で砥石をおろす作業者でも 当時、小学校の校長よりも 給料が高かったという。
ポンプ
(せいしょこさん)
硯谷
宮川の会所
大正館(時計店)
大正年間に電柱を立て電気工事! 昭和10年代、まだ電気のない家あり、 金輪寺への電気開通は戦後になります。
(むねひろさん宅)
砥石
中車
上車
(じんごべはん)
(まさやさん)
富家稲荷
(細かい青砥)
細谷に水車有り
伝染病隔離病舎
時
計
下車
(細かい青砥)
ポンプ
砥石
(うたさん)
(青砥)
篠山妙見街道休憩所
砥石
(りきっつぁん)
下の鍛冶屋
(せいたろはん)
神前区
国道篠山街道
(せいきさん)
倶楽部
豆腐店
(えーやん)
明治・大正A へ
茶店
砥石
散髪屋
問屋
赤坂
ポンプ
扇谷
質屋
(すずいだに)
(きみさん)
(大鶴)
(はるいっつぁん)
延喜式内 丹波国桑田郡19座の1座 祭神に伊賀古夜姫命 誉田別命を祀る。 三勅祭のひとつ『葵祭』の行列に氏子が奉仕 社小さくとも格式高い氏子も同じ ?!
駐在所
(細かい青砥)
消防ポンプ小屋
大正年間に作られ 拡幅される!
(きんだぁはん)
(きぃっちゃん)
ポンプ
酒屋
道祖神
野口宿至
旧山陰道
書家
細谷にマンガン鉱採取地有り
(じょうきっつぁん)
消防  ポンプ小屋
(せんざん)
細谷に消防ポンプ小屋有り
よしおさん宅 隣にあった。
神
田
府道八木宮川線
川
長谷  (青砥)
神前区
毎月十一日祭典
消防ポンプ小屋
昭和一桁代A へ
神前区にあり 鉱脈が田んぼの底に 入り込んでおり 排水しながらの作業
マンガン鉱採取地
(かっつぁん)
(たろうさん)
小谷  (青砥)
宮前小学校
人口移動が少なく 人口が減っている時代に 砥石の隆盛がはじまり、 戸数、人口が 増えてきていた。
妙霊教会
忠魂碑
岡花  (青砥)
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中砥は青砥、 門前、めつけ、佐伯砥と 西に向かって、目が粗くなっていき 亀岡側から京都側に向かって 質がおちていき、 合砥(仕上砥)は逆に 京都側から亀岡側に向かって 質がおちていく!
他の地区が個人山なのに対し 大半が区有山のこの地区では 区民1軒につき1箇所の 採掘権があった。
本
梅
川
赤土採取地
人口  大正9年 昭和5年  
宮前村  1641人  1741人 0.3%増
千代川村 1972人  1877人 0.4%減
ひえ田野村 2275人  2215人 0.2%減 
My home town へ
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