人造砥石発祥の地
地元郷土史家の著書に宮川青野山と共に 青砥は日本一の折紙付きで、絶好の品質を誇る とある。 合砥に比べ使用用途が多く需要が多く 刃物を利用する職人達にとり、欠くことのできない 必需品であった中砥が砥石業者の懐を潤した。
青砥として 販売されたが 中砥と合砥の間の 粗さであった
鍛冶屋垣内  (青砥)
砥 石
向畑
戦前に掘削
明治5年、 黒田村(東神前)と神前村が 合併新生神前村に
(鍛冶屋垣内)
(合砥)
砥 石
中ヶ谷
T.jさん
上車
森建設
K.Gさん
S.Jさん
M.Kさん
長谷  (青砥)
M.Sさん
(細かい青砥)
区有山
試掘権を得て 試掘して 採算が合えば 採掘権を年次契約
H.Nさん
寶林寺
人見商店
鍛冶屋
H.Sさん
区有山
(岡花・大末)
M.Mさん
えのき屋
(古物)
M.Tさん
森 英蔵
M.Sさん
脇谷
Y.Iさん
(鍛冶屋垣内東側)
短期間
H.Tさん
乾谷
淨念寺
千々川
(合砥)
S.Cさん
M.Yさん
(合砥)
H.Yさん
(合砥)
砥 石
宮前小学校の 紅白饅頭を 猪倉小畑饅頭店と 交互に納品
よろず屋
M.Bさん
佐々尾神社
区有山
神前公民館
瓦屋
(細かい青砥)
戦後のみ
南側
大阪砥石組合  5人持ち
三作
明治14年 6月11日 隣接する 八木村との 境界問題で 毒餅事件に
M.Yさん
荒仕上げ加工所
(細かい青砥)
横谷
M.Kさん
M.Yさん
(おおずれ)
(門前)
M.Yさん
岡花  (青砥)
採掘の砥山が個人山が主であり 宮川区のように大半の家が 砥山に携わっていたわけではない。
田んぼの底まで 採掘を広げ水を汲み 上げながら採掘した。 良質なものを多く産し 岡花ブランドとして 売り出した。
荒
尾根を挟んで 猪倉側滝ヶ谷にも 門前が産出される
大末
宮川区
M.Bさん
M.Bさん
前山  (青砥)
森治郎右衛門の碑
人造砥石を開発し 特許を習得する。 当初、他業者からの非難もあったが、 30年代半ばより 天然砥石採掘が衰退する中、 2017年まで製造し続けられた!
神前 戦後
荒
短期間
森自転車商会
丹和砥石(株)
饅頭屋
火薬庫
U.Sさん
M.Wさん
N.Jさん
Y.Iさん
北 山
宮前砥石商友会メンバー
H.Dさん
(岡花・前山)
大曲り
地元郷土史家の 著書によると 当地の合砥は隣の大内と共に 梅ヶ畑・鳴滝の代用品として 需要があり良い収入に なっていたとある。
鶏定
浄土宗
神前農協
森呉服店
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泣き別れ
人見牧場
豆腐屋
砥 石
砥 石
S.Jさん
砥 石
S.Zさん
H.Gさん
創祀・創建年代は不詳 江戸中期1715年現在地に遷座 明治1868年まで神宮寺として 神護山慈眼寺があった。 重文の平安後期3体の 如来像と鎌倉後期九重石塔 (宝釈寺より)が寶林寺へ
臨済宗大徳寺派 江戸初期寛文年間創建 3体の如来像 (釈迦、薬師、阿弥陀)と 九重石塔が重文指定!
神前戦後探検隊
荒仕上げ加工所
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天王神社
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